レオーネ・スタイルの頂点を極めた一大叙事詩2時間45分【オリジナル版】日本初公開
『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(1968)は、クリント・イーストウッド主演『荒野の用心棒』(1964)、『夕陽のガンマン』(1965)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(1966)の通称【ドル3部作】で3年連続イタリア年間興収NO.1を記録し、全世界にイタリア製西部劇=マカロニ・ウエスタン ブームを巻き起こした巨匠セルジオ・レオーネが、アクションの面白さを極め尽くした前3部作とは大きく方向性を変え、自らの作家性を前面に打ち出した野心作。若き日のベルナルド・ベルトルッチ(『ラストエンペラー』監督)とダリオ・アルジェント(『サスぺリア』監督)を共同原案に抜擢したレオーネは、ルキノ・ヴィスコンティ監督『山猫』を下敷きに、女性主人公ジルの目を通し、移り変わる時代と共に滅びゆくガンマンたちの落日を、スタイリッシュかつ重厚壮麗なバロック的演出を駆使して描き、それまでのマカロニ・ウエスタンともハリウッド製西部劇ともまったく似て非なる、異形の超大作として完成させた。そしてエンニオ・モリコーネ(『アンタッチャブル』『ニュー・シネマ・パラダイス』)作曲・指揮による名曲の数々が、この一大叙事詩を感動的に彩った。
1969年の初公開時、欧州各国では高い評価と共に大ヒットを記録。特にパリでは歴史的ヒットとなり、2年にわたってロングランされ、現在もフランス興行史上トップテン内に留まっている。一方アメリカではレオーネの意図はまったく理解されず、オリジナル版から20分短縮され、批評、興行ともに惨敗。日本では米公開版をさらにカットした2時間21分版が公開され、アメリカ同様批評家から無視された。しかし70年代以降、海外ではその評価は年々高まり、スタンリー・キューブリック、ヴィム・ヴェンダース、ジョン・ブアマン、ジョージ・ルーカス、マーティン・スコセッシ、ジョン・カーペンターといった名監督たちがこぞって讃え、1973年、NYの「フィルムコメント」誌は“『2001年宇宙の旅』と並ぶ60年代の偉大なる革新的/神話的作品の一本”と記した。2012年、英国の「サイト&サウンド」誌が実施した世界の現役映画監督358人から募った【映画史上最も偉大な作品】アンケートでは44位につけ、西部劇ジャンルに限れば『捜索者』『リオ・ブラボー』、自身の『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』『ワイルドバンチ』など名だたる傑作を抑え、本作がトップに輝いた。
レオーネはこの作品の後、フランスで“ワンス・アポン・ア・タイム・ザ・レヴォリューション”(英訳)の題名で公開された『夕陽のギャングたち』(1971)、そして企画から完成まで十数年を要した畢生の大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』(1984)を発表し、5年後の1989年、60才で死去した。現在、本作以降の3作品は、レオーネの【ワンス・アポン・ア・タイム3部作】、または【アメリカ3部作】として映画史の中で語り継がれている。
日本初公開から50年、レオーネ生誕90年、没後30年、そして以前よりレオーネ作品への愛と敬意を公言していたクエンティン・タランティーノ監督が、本作のタイトルを引用した最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』が公開される今年2019年、遂に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』、2時間45分オリジナル版が日本初公開される。
今回上映される復元版は、フィルム・ファウンデーションとローマ映画祭、
そしてセルジオ・レオーネ プロダクションズ、パラマウント・ピクチャーズの援助によって制作された。
女は生きた。無法と決闘の時代を―。
大陸横断鉄道敷設によって新たな文明の波が押し寄せていた西部開拓期。ニューオーリンズから西部に嫁いできた元・高級娼婦のジル(クラウディア・カルディナーレ)は、何者かに家族全員を殺され、広大な荒地の相続人となった。莫大な価値を秘めたその土地の利権をめぐり、ジルは、鉄道会社に雇われた殺し屋フランク(ヘンリー・フォンダ)、家族殺しの容疑者である強盗団のボス、シャイアン(ジェイソン・ロバーズ)、ハーモニカを奏でる正体不明のガンマン(チャールズ・ブロンソン)らの熾烈な争いに巻き込まれていく―。

この作品の成り立ちと現在までの経緯
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セルジオ・レオーネ監督は、クリント・イーストウッド主演『荒野の用心棒』(64)、『夕陽のガンマン』(65)、『続・夕陽のガンマン/地獄の決斗』(66)と続いた【ドル3部作】の大ヒットによって全世界にマカロニ・ウエスタン・ブームを巻き起こし、当時世界屈指のヒットメイカーとなった。3部作を全米配給したユナイトは、さらに新たな西部劇をレオーネにオファーしたが、西部劇に飽き飽きしていたレオーネは、ギャングスター大作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』の企画にこだわり、両者の交渉は決裂。そこに新たな出資者が現れる。パラマウントの親会社「ガルフ・アンド・ウェスタン」のチャールズ・ブルドーンはレオーネの才能を高く買い、ヘンリー・フォンダの出演と過去最大級の製作費を用意するのでもう一本だけ西部劇を、とオファー。 フォンダの大ファンだったレオーネはその申し出を断れず、同時に『ワンス~イン・アメリカ』の企画開発も進めることになる。
名無しの賞金稼ぎを主人公にした【ドル3部作】とは大きく方向性を変え、西部劇への個人的な想いと憧れを反映させようと目論んだレオーネは、それまで組んできた脚本家を一新。当時映画評論家だったダリオ・アルジェント、『続・夕陽のガンマン』を初日に見に来た、当時まだ一本もヒット作がなかったベルナルド・ベルトルッチ監督と3人がかりでアイディアを練ることに。3人はそれまで見てきた『真昼の決闘』『大砂塵』『捜索者』『シェーン』『荒野の七人』『アイアン・ホース』など、お気に入りの西部劇やその名場面を数か月にわたって語り合った。その結果、主人公はベルトルッチの進言により女性となり、大陸横断鉄道に象徴される文明の進歩によって、西部の世界から夢とロマンが失われていく物語が形を取り始めた。『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』(イタリア語原題は、“かつて、西部があった”)と名付けられたこの物語は、レオーネが敬愛するヴィスコンティの巨篇『山猫』の西部劇版ともいうべき、滅びゆく世界への挽歌となった。
しかし原案を脚本化しようとした段階でアルジェントとベルトルッチは途中離脱。レオーネは『夕陽のガンマン』2部作をノン・クレジットで執筆協力したセルジオ・ドナーティを新たに雇い、ドナーティはそれまでのアイディアと自ら考えたキャラクターをまとめ、25日間で脚本を完成させた。イタリア語で書かれた脚本は、『続・夕陽のガンマン』に続き、赤狩りによってヨーロッパに逃れて来た元俳優、ミッキー・ノックスが英訳した。
『荒野の用心棒』30万ドル、『夕陽のガンマン』60万ドル、そして『続・夕陽のガンマン』の製作費は130万ドルと倍々に膨れ上がっていたが、本作ではそれらをはるかに超える300万ドルという破格の予算が組まれた。60年代末、英語圏外の監督が、合作とはいえこれだけの予算を任されたハリウッド大作はかつてなかった。予算の内150万ドルはキャストへの出演料に充てられたが、残りのほとんどは、舞台となる町や駅の美術費に充てられた。レオーネの右腕、美術監督カルロ・シーミは、テキサス州エル・パソの古い写真を元に舞台となるフラッグストーンの町を丸ごと作り上げ、また膨大な出演者たちの衣装をデザインした。
撮影は1968年4月、チネチッタ撮影所に作られた屋内セットから始まり、続いてスペインのアルメリアとグラナダでのロケ、そして7月、レオーネ初のアメリカ・ロケ、モニュメント・ヴァレーでの撮影を済ませて終了した。撮影現場ではエン二オ・モリコーネがあらかじめ作曲/録音していた各シーンの音楽が流され、キャストたちはその曲に合せて演技し、撮影のトニーノ・デッリ・コッリもその曲調に合わせて滑らかにクレーンや移動撮影を行った。
イタリアでは1968年12月に公開され、『続・夕陽のガンマン』の興収約32億リラに対し、25億リラと及ばなかったが同年度の興収3位。ダヴィッド・ディ・ドナテッロ賞・作品賞を受賞し、高く評価された。フランスでは翌69年8月に公開され、凄まじいヒットを記録。パリでは2年間に及ぶロングランとなり、現在もフランスの歴代動員トップテン内に留まっている。アメリカでは69年5月に公開されたが、不評のため2時間45分のオリジナル版を20分カットされ、興収100万ドルという失敗に終わった。
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我が国では『ウエスタン』の邦題で1969年10月31日から新宿・歌舞伎町にオープンした新宿プラザ劇場、11月30日、大阪にオープンした阪急プラザ劇場の開館記念作品として公開された。新館オープンの話題と前年公開『さらば友よ』で爆発したチャールズ・ブロンソン人気によってヒットしたが、その版はアメリカ公開版よりもさらに短い2時間21分だった。同年度のキネマ旬報ベストテン、西部劇ジャンルの作品評価はどうだったかといえば、25位『ワイルドバンチ』、38位『レッド・ムーン』、41位『大いなる男たち』の後塵を拝し、『ウエスタン』は得票1点で64位。同点最下位は『ハロー・ドーリー!』と『ペンチャー・ワゴン』だった。
日本での不評は、レオーネが【ドル3部作】とは作品の方向性を変えた意図が批評家やファンにまったく理解されなかったこと、さらにその頃「アメリカン・ニューシネマ」が大きなブームになりつつあり、西部劇というジャンル自体が急速に人気と注目度を失っていたことも大きかったと思われる。1972年、レオーネのさらなる超大作『夕陽のギャングたち』が日本公開されるも興行的に大敗。この作品以降、我が国では若い批評家たちが散発的にレオーネ作品擁護の評を記すようになっていく。だが多くの批評家たちからは相変わらず無視され続け、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』が1984年度キネマ旬報ベストワンになった際も、過去作が顧みられたり、再評価されることはなかった。
海外でのレオーネ作品の評価が大きく変わるきっかけとなったのは、ロンドン王立美術大学の学長で批評家のサー・クリストファー・フレイリングが著した世界初のマカロニ・ウエスタン研究書「SPAGHETTI WESTERNS:Cowboys and Europeans from Karl May to Sergio Leone 」(1981)、さらにそれに続く著書で日本でも翻訳が出た「セルジオ・レオーネ‐西部劇神話を撃ったイタリアの悪童」(2000/フィルムアート社刊)によるところが大きい。後者ではルーカス、スピルバーグ、スコセッシ、カーペンター、ジョージ・ミラー、ジョン・ウー、そして後に『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』シリーズを監督するツイ・ハークら、世界各国の映画監督たちがいかにレオーネ作品から影響を受けていたかが記されていた。
それと前後して『パルプ・フィクション』(1984)でカンヌ映画祭パルムドールを受賞したクエンティン・タランティーノ監督が、ことあるごとにレオーネ作品とエンニオ・モリコーネの音楽、そしてマカロニ・ウエスタンというジャンルを絶賛する発言を繰り返していた。近作『ジャンゴ 繋がれざる者』(12)、続く『ヘイトフル・エイト』(15)では西部劇に挑戦し、後者ではレオーネの盟友であるモリコーネに作曲を依頼、見事アカデミー作曲賞を獲らせるという快挙に至った。
2018年10月10日、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』のフランス初公開50年に先駆け、パリのシネマテーク・フランセーズが企画展「かつて、セルジオ・レオーネがいた」を開催(翌年2月4日まで)。会場では本篇の修復を担当したチネテカ・ボローニャの代表ジャン・ルカ・ファリネッリとフレイリングの共著による図録兼研究書「セルジオ・レオーネ革命」が発売された。年明けの2019年1月末には、イタリアBEAT RECORDSから50周年記念リマスター・サントラ盤CDが発売。
そして5月21日、前記サー・フレイリングの数十年にわたる調査、研究の総決算ともいうべきハードカバー335ページの大著「ONCE UPON A TIME IN THE WEST:Shooting a Masterpiece」(REEL ART PRESS刊 )が全世界で一斉発売。巻頭12ページに及ぶ長大な序文を記したのはタランティーノで、その中でタランティーノは“セルジオ・レオーネこそイタリア映画界で最も偉大な映画監督であり、フィルム・スタイリストでありストーリーテラーである”と言い切り、“『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』を見ること自体が映画学校に通うようなことで、この映画を見て映画監督になろうと思った”と語っている。
奇しくも同書が発売された5月21日同日、カンヌ映画祭ではタランティーノが本作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』の題名を引用した最新作『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』がプレミア上映され、超満員の会場は終映後、大喝采に沸いた。そして7月26日、全米公開された『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』は週末3日間興収4035万ドルを記録し、タランティーノ作品歴代No.1の大ヒットスタートを切った。その約1か月後の8月30日には『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ハリウッド』日本公開。そしてまたその約1か月後の9月27日、映画史において『ワンス・アポン~』と名付けられた作品の先駆けであるセルジオ・レオーネ監督作品『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・ザ・ウェスト』、2時間45分のオリジナル版が日本初公開される。


キャスト
ジル・マクベイン:クラウディア・カルディナーレ
フランク:ヘンリー・フォンダ
シャイアン:ジェイソン・ロバーズ
ハーモニカ:チャールズ・ブロンソン
モートン:ガブリエレ・フェルゼッティ
スネイキー:ジャック・イーラム
ストーニー:ウディ・ストロード
ナックルズ:アル・ムロック
ブレット・マクベイン:フランク・ウルフ
サム:パオロ・ストッパ
交易所の主人:ライオネル・スタンダー
保安官:キーナン・ウィン
スタッフ
監督:セルジオ・レオーネ
原案:ダリオ・アルジェント、ベルナルド・ベルトルッチ、セルジオ・レオーネ
脚本:セルジオ・ドナーティ、セルジオ・レオーネ
英語台詞:ミッキー・ノックス
製作:フルヴィオ・モルセッラ
製作総指揮:ビーノ・チコーニャ
撮影監督:トニーノ・デッリ・コッリ
美術・衣装:カルロ・シーミ
編集:ニーノ・バラーリ
音楽作曲・指揮:エンニオ・モリコーネ
ハーモニカ演奏:フランコ・デ・ジェミニ
口笛:アレッサンドロ・アレッサンドローニ
ヴォーカル:エッダ・デロルソ
CAST
Jill Mcbain:CLAUDIA CARDINALE
Frank:HENRY FONDA
Cheyenne:JASON ROBARDS
Harmonica:CHARLS BRONSON
Morton:GABRIELE FERZETTI
Snaky:JACK ELAM
Stony:WOODY STRODE
Knuckles:AL MULLOCH
Brett Mcbain:FRANK WOLFF
Sam:PAOLO STOPPA
Bartender:LIONEL STANDER
Sheriff:KEENAN WYNN
FILMMAKERS
Directed by SERGIO LEONE
Story by DARIO ARGENTO, BERNARDO BERTOLUCCI, SERGIO LEONE
Screenplay by SERGIO DONATI, SERGIO LEONE
English Dialogue MICKEY KNOX
Produced by FULVIO MORSELLA
Executive Producer BINO CICOGNA
Director of Photography TONINO DELLI COLLI
Sets & Costumes by CARLO SIMI
Edited by NINO BARAGLI
Music Composed & Conducted by ENNIO MORRICONE
Harmonica FRANCO DE GEMINI
Whistle ALESSANDRO ALESSANDRONI
Vocal EDDA DELL'ORSO
◇パラマウント・ピクチャーズ提供/セルジオ・レオーネ作品/ラフラン-サン・マルコ制作
◇PARAMOUNT PICTURES Presents/a SERGIO LEONE Film/a RAFRAN-SAN MARCO Production
【1968年|伊・米合作|カラー|スコープサイズ|5.1ch|DCP|上映時間:2時間45分|
初公開時邦題:『ウエスタン』|伊語原題:C'ERA UNA VOLTA IL WEST (かつて、西部があった)】
■配給:アーク・フィルムズ boid インターフィルム■ 後援:イタリア大使館 イタリア文化会館
©1968 by PARAMOUNT PICTURES CORPORATION. All Rights Reserved.